「インドでもらった鍵」 松重 文

知らない人の中に入ってゆくことが苦手、でもやらなきゃ。

リーダーなんだから、教会で働いているんだから。ひきつりつつ、挨拶。うえーん。やはり、うまく出来なかった。ご存知の通り、これが、普段の私の姿です。

だから、アウトリーチ?!インド?!私が行くの?!と何度も何度も祈りました。

そして、「そうだよ」と言われた気がしたのです。そのとたん、疑問や不安が消えて、引けていた腰が落ち着いて、「承知しました。何をしましょう」モードに切り替わりました。でも、「〜〜をしなさい」とは言われない。「私のいる所に一緒にいればいい。私と一緒に歩いてごらん」と言われている気がしました。そんな漠然としていていいのかと焦りつつ、でもそれ以上のことは何も言われなかったのです。自分を委ねるしかありませんでした。降り立ったインドールでは、YWAMスタッフの方達が笑顔で迎えてくださった。本当に喜んでくださっている。胸をつかれました。「イエス・キリストの名のもとに」その言葉が何度も頭の中を駆け巡りました。受け入れてくださったYWAMスタッフの方達のおかげで、楽しめるかなと期待し始めたのですが・・・。

甘かったです。インドは、そんなもんではありませんでした。

ハンセン病の村での医療補助が始まった日。人々の患部の包帯を取り除き、さらけ出された生々しい傷口を消毒し薬を塗る、その作業を見ながら、私はおののいていました。場合によっては、傷口の奥深くに脱脂綿をさし込んでゆく。あまりに現実の傷や痛みに近すぎる。そんな世界では、私は生きてこなかったと痛感しました。自分がおののくほどに、人や自分の現実にふれるような場所には、一度も立ったことがない。きれいで安全な場所で、自分を守って生きてきた。神様いなくてもやっていられる所にしか、立ったことがない。私はひどく場違いな自分の存在に気がついて、そこから立ち去りたくなりました。本当に恥ずかしかった。いい年をして、甘えた人生を送ってきた自分の姿をさらして、恥をかきたくなかった。自分がコントロールできない状況から逃げたかった。どうしたらいいいか、わからないまま、みんなに祈ってもらった

その夜、ハンセン病にかかった人を、手でさわって病を癒されたイエス様の言葉が心に響きました。「私の心だ、きよくなれ」

そうなんだ。彼らに本当にさわることの出来る方は、イエス様だけだ。彼らを本当に癒すことのできる方もイエス様だけだ。彼らの傷や痛み、生々しい現実のまっただ中に、イエス様がいるのだ。私がどうかは関係ない。自分の力で主の業を行おうとしていたことを悔い改めました。

主が「私のいる所に一緒にいればいい。私と一緒に歩いてごらん」と言ってくださったことを思い出し、「はい、主よ。そばに置いてくださるのなら、喜んで、そこにいます。」と祈りました。過剰な自意識を委ねた瞬間だったと思います。

それから、医療補助活動の時、イエス様の静かなたたずまいを感じるようになりました。「ここはもっとも聖い所だ」と言っておられるようでした。うまく表現できないのですが、静かな水面を優しい風が吹くような、すがすがしさに満ちていました。

いきなりですが、私がかかえている課題の一つは「どうしたら偽善に陥らずに生きることができるか」ということです。私は本当に「いいかっこしい」なんですね。「立派な私」とか「素敵な私」とか「できる私」を、人に認めてもらいたい欲求がものすごいのです。愛に飢えているわけです。でも、恥ずかしいから、「私は全然自分にこだわっていません」ポーズをやってしまう。というわけで、自分の力で何とかしようとし、次々と偽善を生んで、その生き方から逃れられなくなっている。気がつくと、ものすごく苦しいことになってしまっている。表面はともかく、内側は、自己嫌悪、劣等感、優越感、妬み、競争心、等々、醜いもので満ち満ちている。かくしているつもりでも、絶対、臭っていると思うのです。それがまた、本当に恥ずかしい。イエス様は偽善者のことを、「白く塗った墓」と言われた。上手い!と感嘆する一方で、私は「シャレになりません、主よ。私はまさにその『白く塗った墓』なんです。助けてください」と言いたかった。でも、その言葉を飲み込んでいました。どう思われるか、怖かったし、負けを認めるみたいでかっこ悪い。

そんな私だからこそ、インドでの医療補助活動の中で、主は心の叫びを光の中に引き出して下さいました。

あのとき、私にもイエス様がふれてくださっていた。「私の心だ、きよくなれ」

心は空っぽで静かなのに、流れる涙が止められない。滞在中、そんなことが何度もありました。

「どうしたら偽善に陥らずに生きていけるか」。インドでもらったヒントは、自分の生々しい現実に向き合うことと、具体的に神様に従うことでした。

実は、準備段階で、チームの薬等の買い出しに出かけた時、ふと、「眼帯」「蚊取り線香」という言葉が浮かびました。予め作ったリストにはのっていませんでした。私は、祈らず、考えました。そして、結局、自分の判断で買わずにインドに行ったのです。

実際、到着したその日に、眼帯が必要になりました。蚊取り線香があったら、どんなに助かったか、ご存知の通りです。

あれは、神様からのシグナルだったのだと思いました。従えたらよかったと心から思いました。小さいことでも、自分で思いついたなら「できる私」が強化されるだけですが、神様の声に従ったなら、眼帯ひとつ、蚊取り線香ひとつを通しても神様があがめられたのだと思います。そうと気がつかずに神様を無視してしまったのが、今の私のありのままなのでした。

受けた恵みのゆえに、インドが近い国になりました。再び行ける日を待ち望みながら、小さな事から具体的に神様に従うことを練習し、言葉と行いのギャップをうめてくださる神様を体験してゆきたいと願っています。


「点と点が線になる時」 加藤 真理子


私達は、今回インドの中部のインドールという場所に宣教活動に行きました。2週間という短い期間の中で奉仕し、また仕えにインドまで行ったのですが、実際には向こうのインドのクリスチャンの方々に多くの信仰と愛をもらう旅行でした。

 私達の教会にも時々宣教団体の学生達が宣教の為、滞在しますが、果たして自分は外国から宣教の為に来られる人々をインドのクリスチャンの人々のように、尊敬し、愛し、もてなし、多くの忍耐を持って接しているのだろうかと、自分自身を返り見る時でもありました。本当に未熟でワガママな私達をインドの人々は喜んで、忍耐と愛を持って仕えて下さいました。(約半日もかかる民族衣装の調達にも嫌な顔せず付き合ってくださり、さらに衣装の色やデザインを決めるのに2時間以上かかっても、笑顔で接して下さいました。しかも男の方が全て付き合って下さったのです!!又インドでは飲料水の水を調達するのは難しく、その調達の為1時間以上かかっても、文句1つ笑顔で付き合ってくださいました。)

今回、私達が行った場所は、私が以前ハワイのYouth With A Missionの学校の授業で宣教地として行った場所でした。もう2度と天国でしか再開できないと思っていた人々との再会はとても感激するものでした。私は2004年の2月に2ヶ月程インドに行きました。その時、確かに大きな感動もありました。でも心の奥では、いつか主都福音の学生達とこのような宣教旅行をしたい!!と密かに熱く願っていました。まさかその1年半後、神様がyouthの宣教旅行としてインドに行く道を開いて下さるとは夢にも思っていませんでした。このことを通して、神様のご計画は本当に私のちっぽけな考えよりも遥かに大きく偉大なものだと感じました。インドに着いた初日の夜は、教会のメンバーとインドに一緒に来られたこと、同時に他にも多くの人達とも来られたこと、又何もできない者でも、こうやって神様の宣教の業に関わらして下さることを感謝し泣きながら祈っていました。

 アウトリーチの中である時、ある教会で証をさせて頂く機会がありました。その教会に朝着いてから思い出したのですが、1年半前私が以前、証をしたことがある教会でした。その時のした証はこのようなものでした。父親と葛藤していた関係を通してイエス・キリストの十字架に出会ったということ。また使徒16:31の御言葉の箇所を通して、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われる。」でした。私の家族は、以前は最悪な状態でしたが、神様が癒して下さり、今は回復の段階です。キリスト教に1番反対していた父も今では教会のゴスペル教室に通っています。父はまだ救われていませんが、この御言葉にように絶対救われる時が来ます。だから皆さんも家族の救いや親戚の救いをあきらめずに祈って下さい!!という話した教会でした。実際その証の2週間後、私の父は信仰告白をしました。ですからまた再びその教会い戻り、父親が救われたことを証する機会を持てたことを本当に感謝します。教会の人々もとても喜んでくださいました。

 今回の旅行中、神様は私の心に触れて下さりある1つの思いを起こさせて下さいました。それは、私は宣教師になりたいということでした。今まで思っていてもなかなか神様にハッキリ祈ることができなかったのですが、チームミーティングの祈りの中で、仲間に支えられながら、泣きながら神様に祈っていました。神様は私を宣教師として直接行く側、又は宣教師を送り出す側として召しているかはまだハッキリ分りません。しかしいずれの形であっても宣教には関わって行きたいのだと神様に正直に祈ることができました。

思い返せば、私は父の仕事上の関係で南米に2度住んでいたことがあります。思春期の時期に南米で生活するにはとても大変でした。そのことは私の人生において、暗闇の時期でもあり思い出すのも辛いものでもありました。しかしクリスチャンになってから、少しずつそのことが癒されてゆき、毎回発展途上国の国に行く度になぜだかホッとして安心できる自分にもきづき始めました。

 神様は私達の傷と思っているものでも、その傷の点と点をだんだんと癒しながら繋げていき、そしてそれらの線が神様から私たちに託されている召しなのかもしれません。

 インドでの2週間、教会のメンバーと一致して共に奉仕できた喜び、安心感。これは宣教団体では味わえないものであり、教会というキリストの体を通してでしか得られない別の祝福でした。又、向こうのクリスチャンの謙遜さ、信仰、そして自分の本音を神様に言えたこと、どれも私の宝物です。

 マタイ28:19−20「それゆえ、あなたがたは行ってあらゆる国の人々を弟子としなさい。そして父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、またあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」

 この主都福音の教会から多くの世代の方々が短期・長期・祈りも含め宣教の御業が日本へそして世界に出て行くことを祈っています。また今回ユースが短期で無事にインドでの宣教旅行ができたこと、本当に皆様に祈って頂いたこと感謝しています。

PRAISE THE LORD!!
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