「インドの証」  加藤 友里子
私が今回インドで感じた事は、まずひとつは友達の事で、もう一つは自分自身の事です。今回私はなぜか三人のノンクリスチャンの大学の友達を連れて行くことになりました。そもそもどういういきさつでなったのかをまずお話したいと思います。一人の友人にはなんとなく軽く声をかけていたのですが、その後彼女自身が、行く気になったので説明する為インドの写真を見せていたら、それをみた他の二人も行きたいと言い出したのです。とても驚きました。けれどその後ちゃんと三人には一体どういう事をするのかなど詳しく話しました。三人とも行く気だったので観光と思って勘違いしていたら良くないと思って説明しました。私は三人の為に祈って備えました。祈っている中、三人の友が来る事は本当に御心だと感じ私じゃなくて神様が呼んでる気がしました又、もしこれでインド中彼女達にとって嫌な事がおきたとしても、私のせいだとか必要以上に背負う必要はないし、むしろそんな時は神様のせいにしよって思っているくらいでした。そういう経路で友達とインドに行く事ができ、outreach中、彼女たちの心に確実に神様が働いているのをみました。三人の友がいてくれて本当にすごく楽しかったし、助けられた部分もいっぱいありました。しかし、少し自分の事に集中できなかったり、ノンクリスチャンの友とクリスチャンの差を感じて、それが悲しくて泣いた時もありました。でも同時に友達たちも同じように差を感じたりしているのだろうなぁと思いました。色々な差を感じる部分はありましたが、一緒に賛美したり、分かち合ったり、祈ったりと一致することができました。それは、神様がちゃんと真ん中にいるからこそ一致できたのだと実感しました。一致できて嬉しかったです。 また、私も少し前までは逆の立場(ノンクリスチャン)で祈られてたんだなぁとか、その気持が分かって本当に今では感謝だなぁと思いました。神様も私がそっぽ向いている時、どうしてみてくれないの?って悲しいな…って涙していたんだろうなぁと感じる事ができました。そしてインドから帰った後もディボーションしていると、この御言葉をもらいました。

『少しだけ蒔く者は少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は豊かに刈り取ります。 第二コリント9章6節』

『あなたがたはあらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。第二コリント9章11節』

そこで私は惜しみなくキリストの福音を伝えなさいと言われている気がしました。私は友達の為にその時々与えられた証をしなさいと語られました。その後の祈祷会でも家族が救われたからって心のどこかでまーいーっやって思っていませんか?とメッセージ中、問いかけられ、私はむしろ家族などに祈られた側だったけど、今私ができる事は仲のいい友達の救いのために祈ることができると、思いました!又、本当に祈りたい!!と思いました。

もう一つインドで感じた事は、日本がいかに病んでいるかという事です。outreach中メッセージの中で言っていた言葉なのですけど、インドはものすごい多くの子供達がたくさんいます。物質的に本当に貧しいです。明日の食べ物の心配などをして生きている人が多くいます。でも彼らは”生きる”という事に必死です。 それに比べて日本は物質が豊かすぎです。なにもかもが当たり前で生きるためでなく楽しむためのものばかりがあって、自分がいかにそれに惑わされているかを感じました。自殺などが多いというのは、ある意味インドより日本は心が病んでいます。又、私は自分の偶像礼拝の罪があることに気付かされました。他の人の証を聞いた時、神様はその人に自分は、失敗者だといつもいつも思っていたけれど、神様があなたは失敗者じゃないよっと言ってくれた、というのを聞いた時、涙がこぼれました。私は今でもまだ自分の価値を低く思う時があって、神様が本当にありのままを愛してくれているという実感が湧きません。自分がつくる作品に関しても自分に対しても、これは失敗だー!と思う事があります。けれどそんな時、神様は全然失敗じゃないよーって横で微笑んで語ってくれている気がしました。私はよく自分の頭の中で考え込むことが多く、自分の感情を出す前に頭で考えてこれはおかしいとか、合っているとか考えてから発言します。しかし、いつも失敗だーとか、合っているとか決めているのは自分ではないか?!とうい事にきづきました。祈りの中で神様の目から見たらどれも失敗じゃなかったのではないかと思えたのです。また、それは自分を神としている、神さまより自分の考えを優先している、自分への偶像礼拝だった事に気付いて悔い改めることが出来ました。このように本当にインドで色々感じる事ができたし、はじめ心配していた友達たちも帰りには本当に濃く、充実した二週間だったと言ってくれたので本当に嬉しかったです!

また、今も彼女達の為に祈っています。彼女たちの為にお祈りして頂けたら幸いです。


「インドアウトリーチで学んだこと」  鈴木 美緒

インドに行けたこと、本当に感謝します。インドに行く費用もこのメンバーも神様がすべて与えてくださった、と思っています。

インドで学んだことは、日本に帰ってきてからも思い出しています。現地では、辛いこともたくさんありました。まず、体調が優れなかったことです。食事が合わなかったのか、しばらく胃が痛く、何日間かは部屋で休んでいました。

私がこのインドに行きたいと思った理由はマザーテレサの家に行きたかったからでした。

幼い頃に偶然テレビでマザーテレサと、その働きを知ってからずっと興味を持っていました。私はマザーテレサのように奉仕のこころを持ったひとにあこがれていて、自分もマザーテレサのようなひとになりたい、と思っていました。

しかし、インドに行き、奉仕はすぐにできるものではないことを思い知りました。本当に人に仕えることができる人は愛をもっています。人に愛を与える、ということは簡単なことではありません。人を愛するためにはまず、自分を愛していなければ。わたしは自分さえ愛せていない、受け入れられていない、ということに気づきました。また、私は日本では体調を崩すことがほとんど無かったのですが、体調が悪いときには特に自分のことばかり考えていて、周りの人のことなんて考えられる余裕がないことも知りました。

結局マザーテレサの施設は突然の閉鎖になって行くことができませんでしたが、それでよかったのかもしれません。とても残念でしたが、まだまだ力不足な自分にはとても無理だったと思います。今度インドに来る時には、人に愛を与えることができ、そして健康な体も兼ね備えた強い自分になっていたいです。

あとは、現地の教会に参加して、形や言語が違っていても同じ神を礼拝しているのをみて

やはり、神様は全世界を治めている偉大な方であるということがわかりました。

そして、言語が違っても賛美は美しいと思いました。なかには知っている曲もあって音楽は国を超えていてすごいなと思いました。

インドに行く前は、集まって祈り会など準備はあったのですが、正直ぜんぜん実感が湧きませんでした。祈るなかにも、本気で祈れない感じでした。自分の祈りの準備も本当に不十分なまま、飛行機に乗ってしまいました。伝道をする、という目的でしたが、そんなこと日本でもしていないのに、遠くインドでそんなことできるわけない、と思っていました。実際にインドの人に伝道できたのかはわかりません。むしろ、それよりもインドのクリスチャンから与えられることが多かったです。

インドでは礼拝にもちゃんと神様がいて、信仰もいきいきしている気がしました。

インドではたくさんのひとに愛を与えられました。自分では受けとれられないほど、でも受け取らなくても変わらず与えてくれました。GIVE&TAKEの愛ではなく、ただ与えられました。ほんとうに感謝でいっぱいです。

しかし、日本に帰ってくるとすべてが愛やなにもかもを奪っていくようで、すぐに乾いてしまいます。インドのひとのような強さがほしいな、と思います。しかし、それは信仰によってでてくるのかもしれません。このような体験をさせてくださった神様にこれからも感謝し、ゆだね、よりたのみ、生きていきたいと思いました

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