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「インドアウトリーチ」 鈴木 啓文 | |||||||||
| 自分にとって今回のアウトリーチは素晴らしい体験であり辛い体験でもありました。 何が辛いかって、やっぱり文化や習慣が合わなかった事です。町は排気ガスや粉塵や糞尿の臭いがしているし、食事は毎回カレーだし、着いた初日は日本と全く違う生活だったので新鮮でしたが、3日しないうちに日本に帰りたくなりました。 現地のカレーを食べお腹を壊し風邪で咳が止まらず熱も出た時には、楽になれるなら召天したいと本気で願いました。 しかし、インドのとあるハンセン病の村に行った時に、自分の考えが変わりました。ハンセン病は傷口を放っておくと皮膚が腐り肉が見え、傷の状態にもよりますが激しい痛みを伴います。 そんな激しい痛みを伴いながらも自分の体だからそれに向き合って行かなければならない、また向き合っている彼らの姿を見た時に、腹痛と熱と咳で召天を願った自分が恥ずかしくなりました。 結局自分には彼らのために執り成し祈ること以外には何もできませんでした。でも、何もできないかもしれないけど何か彼らの為に仕えたい。本当にそのような思いを主が与えて下さったことに感謝です。 彼らから大切なことを学びました。彼らは,生活は貧しいですが、本当に大切な物を握り締め毎日を輝かしく生きています神様はどれほど私達を愛しているのか。キリストの十字架の贖いがどれほど大きいことなのか。それを彼らは知っているので、彼等は命を懸けて主に従っています。その献身者としての姿を見た時に、自分もそのような者になりたいと思いました。 あれから2ヶ月ぐらいたった今私は就職し、毎日が目まぐるしく過ぎていく中で、インドに行ったことは遠い昔のように思います。 けれども、アウトリーチで神様が教えて下さったことを忘れることなく自分に与えられた道を走り抜きたいです。 |
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「インドでの証し」 鈴木 千尋 |
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| わたしたちはミッショントリップ、つまり宣教旅行に行ってきたわけですが、実際インドに行って、何か神様のことを伝えることが出来たのだろうかと考えさせられます。今回、わたしたちが主にしたことは、YWAMベースでの礼拝奉仕と、ハンセン病の村でのメディカルワークのお手伝いとハンセン病の人々との交流、またハンセン病の人々のために祈ることでした。1つの村では、日曜礼拝を持ったので、スキット、賛美、サインダンス、証し、メッセージと福音を何かしらの形で伝えることは出来ましたが、ほとんどの村では、語ることは出来ませんでした。時間が足りなかったり、集会を開けるくらいの広さを確保できない場所であったりして、スキットやサインダンスをすることができず、ハンセン病の人々に福音を語ることが出来なかったのがとても残念でした。ハンセン病を患っている人々は、毎日毎日痛みや苦しみと戦っています。その一人一人が神様と出会い、キリストの十字架を受け入れ、喜びの人生へと変えられたら・・・。と何度も思いました。インドでは、ほとんどの人がヒンズー教徒のため、ハンセン病の村に住んでいる人も、ヒンズー教の人がほとんどでした。しかし、彼らはわたしたちが「メー アプケリエ プラトナ カルーン?あなたのためにお祈りしていいですか?」と聞くと、首を振りながら「うん」と言ってくれました。そう言ってくれた後、その方に手を置いてお祈りしました。一人一人のために祈るたび、わたしの口から出てくる言葉はいつも同じでした。「この方の病を癒してください。」「この方がイエスキリストを救い主として受け入れられるように、この方の心を開いてください。」これが、ハンセン病の人々にわたしが一番願っていたことでした。わたしはハンセン病の村での最後のワークの日、手を置いて祈れなかった人々のために、その村の人々のために祈ったとき、涙が止まりませんでした。わたしは今まで、こんなにもほかの人に救われてほしいと願ったことがなかったことに気がつきました。インドのクリスチャンは本当に輝いていますが、ノンクリスチャン特にほかの宗教に熱心な人は、目が死んでいるように見えるほどハッキリと違いが分かります。だからこそ、目の輝きを持ってほしいと思いましたし、生きる喜びを本当に知ってほしいと思いました。箴言15:13「心に喜びがあれば顔色を良くする」というみことばの通りだと思いました。そして、インドのクリスチャンのようにわたしも日本で本当に光輝く者になりたいと思いました。 また、わたしはハンセン病の村で「わたしにも何かできることがある。」と思っていました。だからこそ、何も出来なかった自分がむなしく、本当に無力だということを思い知らされました。しかしそれでもわたしはハンセン病の人々を少しでも励ましたいと思い、憶えた限りのヒンズー語で一生懸命話しました。「アプセミリケ ボフット アッチャラガ。あなたに会えて嬉しいです。」と言うと、恥ずかしそうにする人がほとんどでしたが、本当に嬉しそうでした。わたしは、少しでも励まそうと村に行きましたが、いつも励まされて帰ってくることばかりでした。どれほどの痛みをかかえていようと、必死で生きようとする人々の姿に本当に励まされました。日本での自分の生活は本当になまぬるいというか、本気で生きていない自分に気がつきました。 多くのハンセン病の人々に会いましたが、その中でハンセン病ではなかったけれどハンセン病の村に住んでいたある一人の女性のことがとても印象にのこっています。彼女の名前はバールバディ。37歳。妊娠5ヶ月。Elephant legという病気にかかっていました。この病気は手や足が像のようにひどく腫れてしまう病気です。インドの病院に行ったら、原因不明といわれ、治療のしようがないと言われたそうです。なぜ彼女のことが深く思い出されるかというと、わたしが撮ったカメラの中で唯一キレイに映っていたハンセン病の村の人だったからです。あれだけたくさん撮った中で、バールバディの写真だけがしっかりと写されていたことには何か意味があるように思いました。写真を見て、彼女を覚えて祈り続けなさいと神様が言っているように思っています。インドから帰ってきて、自分には何も出来ないと思うけれど、祈ることはできると思いました。わたしたちはどんなに離れた場所にいたとしても、神様を通して近く感じることができます。だから、わたしは日本に帰ってきてからもYWAMスタッフやCDTSの人たち、バールバディ、ハンセン病の人々のためにお祈りしています。 わたしがインドに行って一番嬉しかったことは、「神様は生きておられる!」ということを、何度も何度も感じることが出来たことです。YWAMベースやインドのホザナ教会で礼拝をした時です。言葉は違うけど、同じ神様を見上げて、同じ神様を礼拝しているということがハッキリ分かったんです確かにここに聖霊様がおられて、神様が働いているって分かったんです。イスラム教やヒンズー教から回心した人の証しを聞いて「インドにも神様は生きてる!!」って本当に思いました。国籍が違っても、神様を求める心や、神様を愛する心は変わらないと分かって、本当に本当に嬉しくなりました。また、YWAMのスタッフからもたくさん教えられました。「どんなチームであってもわたしは受け入れることを拒まない。」と、どこまでも謙虚で、神様に完全な信頼を置いているYWAMリーダー、ランチャム。ハンセン病であった両親を若い頃なくしたけれど、YWAMに誘われてから神様と出会い、大きく変えられ、それから神様からの召しをハッキリと受け、それに従い、日々ハンセン病の人々に仕えるスレッシュ。いつも寛容で、穏やかで、マイペースのようだけれど、YWAMで仕えるビジョンを神様から受けて、YWAMスタッフとして忠実に仕えるビージェイ。一人一人の神様に仕える姿勢や、神様から受けた愛を隣人に与えていくその姿が本当にすごいと思いました。これほどの強い信仰と神様への絶対的な信頼を持つ者になりたいと思いました。また、わたしたちがインドに滞在中リーダーのランチャムの家に泊まっていた、シラスという牧師先生との交わりも本当に良いものでした。彼は南インドの人で、孤児院から教会学校を建て上げたという人でした。最初は20人、30人という人数だったのが、今では何百人にもなったという話を聞きました。生きて働かれている神様のわざを垣間見ることができて、このことからも励まされました。 インドにいる2週間、日本とは全く違った環境で生活をして、教えられること考えさせられることばかりでした。ここでも、すべてを語りきれていないくらいです。貧しいという視点からもたくさん考えさせられました。インドにいる間さとるさんが良く言っていたことですが、「日本は本当に心が貧しい国だ」と思いました。物や情報で溢れかえっていて、真理が見えなくなっている国だと思いました。インドにも神様は必要だけれど、日本も同じように神様が必要だと思いました。通勤通学の人々の顔を見ても疲れきったひとばかりです。この国にこそ真理が必要だと今日本に帰ってきてから思います。この日本においても、神様のことイエス様のことを伝えていく者として立ち上がって行きたいと思っています。 |
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